【日本の黒歴史】日本のナチス「第七三一部隊」~残酷な人体実験の数々~
どうも、vivoです。
皆さんは、「第七三一部隊」と言う戦時中における日本の黒歴史をご存じであろうか?
「初めて耳にする」という方が大多数ではないだろうか。
これは、決して忘れてはいけない日本における最大の戦犯と言っても過言ではない
【日本の闇】
後世語り継ぎ、永遠に恥じ悔い改めねばならない事だと僕は思う。
ここから先は、一部過激な文言や画像が出てきますので細心の注意を払いご覧ください。
【日本のナチス・第七三一部隊の所業】
・第七三一部隊の始まり
これは、今から90年ほど前「満州事変」の翌々年1933年の日本陸軍によって設立された
【細菌戦部隊】通称七三一部隊の話である。
この七三一部隊は、当時の浜江省ある「平房」(ピンファン)現在の黒龍江省平房地区にあたる場所に設立された。
関東軍は平房の一角に約6キロ四方の特別軍事地域を設定し一年半を費やし「飛行場・鉄道引込線・発電所」を建設。
さらには、常時八十人~百人を収容する監獄や大小多数の医療研究室と二千六百余人の隊員・家族が生活する宿舎群を建設した。
そして、この大小多数の医療研究室と監獄こそがこの【日本の黒歴史】の舞台になる。

関東軍はこの大規模な施設に「中国人・ロシア人・朝鮮人・モンゴル人」を捕虜として送り込んだ。彼らの大半は、日本軍と戦った中国八路軍の軍人やハルピン市内で捕まったソ連赤軍兵士たちであった。
また、中には全く無実のまま捕まった学生や労働者、市民も多数いた。それどころか、若い婦人や一歳から十歳前後の子供までいた。また、少数ではあるが白人捕虜の姿もあったという。
ここに配属されたのが、石井四郎軍医中将。彼を部隊長に第七三一部隊は多くの日本人医学者や研究者が軍属として配置された。

これが、この後起こる凄惨で残虐な所業の始まりとなる。
・実験材料 通称「マルタ」
まず、彼らの研究についてお話しておこう。
彼らは四つの部と研究班に分かれて勤務し、あらゆる種類の伝染病を研究していた。赤痢・コレラ・チフス・結核・ライ病・梅毒…etc
これらを当時「ロ号棟」と呼ばれる本部施設各階に大掛かりな細菌製造装置が置かれ、寒天や培養液を使って多種多様な細菌培養が行われていた。
ここで、実験材料の「マルタ」と聞いて皆さんは何を思い浮かべただろうか?
大多数の方は、木材を思い浮かべたのではないでしょうか?
実はこの「マルタ」は、ここに連れてこられた捕虜達の事。では、この「マルタ」に何をやらせていたか?
雑用? 重労働? 強制労働?
いや、上記の事ならまだマシであったかもしれない…
注目してほしいのが「実験材料」の部分。
そう、「マルタ」とは細菌実験に使う生体材料。つまりは、人体実験に使われた人(捕虜)の事なのだ。
なぜ、通称「マルタ」なのか?
それは、切り刻み自由・加工自由・煮るも焼くも研究員の思うがままの実験材料。個人名・人権すら持たない「丸太」というわけです。
そして、「マルタ」として送り込まれた人たちは老若男女問わず実験材料として「消費」されていった。


なんて、ひどい話だ…
こうして監獄に送り込まれた捕虜たちは、人権を失い「マルタ」となり実験材料として二日に三本のペースで「消費」されていった。
むごたらしい細菌実験によって犠牲になった捕虜たちは1939年~1945年のたった六年の間に三千人と言われている。
・「マルタ」の悲惨な末路
【生体解剖】
生体解剖とは、文字通り「マルタ」の身体を使った解剖実験。男女・子供老人問わず次々と解剖されていった。
各実験には時に記録用として写真撮影班が動員され、実験内容の記録が行われていた。これは、実際に実験記録のため動員された写真撮影班の証言。
ある時、実験室に呼ばれ実験記録を撮影しろ言われた。手術台には一本のマルタが横たわっていた。
手術台のマルタに麻酔をかけ、執刀者が「気分はどうだ」と問いかける。するとマルタは「スイーラ(眠い…)…スイーラ」とマルタが答える。どうやら中国人らしい。やがて応答がなくなる。
そして執刀が始まる。
のど仏から縦真一文字にメスが入る。へその左側を迂回し一気に陰部まで断ち切る。ぬらぬら光る鮮血にまみれ、白い脂肪が露出する。腹腔にメスで小孔を開け、執刀者がそこに指を二本かける。
指に力を入れて腹壁をグイっと引き上げ、その間にはさみを差し入れ下方に切り裂く…奥から複雑にもつれた内臓が現れる。
生きた人間が、生きたまま一寸刻みで切り刻まれていくのだ…
その瞬間、床に膝から崩れ嘔吐してしまった。と同じくして、目の前が暗くなり失神してしまったよ…
「マルタは人間じゃない、材料なんだ。」と何十・何百と自分に言い聞かせ、現状に生体実験というものに不感症になる以外にない。正常な神経を麻痺させなければ、写真班なんて務まらなかったよ…
【飢餓実験・水絶ち実験】
これは、読んで字のごとく。「マルタ」に食事を与えず、水だけで人間はどれだけ生きられるのかを記録する実験。そりて水絶ち実験とは、「マルタ」にパンだけを与え、一滴の水も与えなければどれだけ生きられるのかを記録する実験である。
当時の関係者の証言。
水だけ与えた場合、「マルタ」は平均して六十日から七十日生きた。だが、パンだけを与えた場合は実験五日目でマルタの顔がむくみ、苦悶の表情になった。実験七日目でマルタは例外なく口から血を吐いて死んでいったよ。
【乾燥実験】
乾燥実験とは、生きたまま「マルタ」を椅子に縛り付けたまま高温の乾燥室に入れる。乾燥した高温の熱風に曝されて「マルタ」の全身から汗が噴き出す。が、吹き出た汗は流れる間もなく熱風の下でたちまち乾く。時間刻みに「マルタ」の身体は水分を搾り取られ、十五時間近く経過するとマルタの身体からもはや滲出すべき水分が失われる。
当時の関係者の証言。
「ついにはマルタの身体はカラカラに乾いたミイラになってしまう。これを計量器にかけると生前の二十二パーセントほどの軽さになる。この実験によって、人体は七十八パーセントが水分だということが分かったよ。」
【感電実験】
感電実験とは、電気椅子に「マルタ」を固定し徐々に電圧を強めていく実験。高電圧になっていくと電圧に耐え切れず、「マルタ」が椅子ごとひっくり返る光景は珍しくなかった。また、小規模の落雷実験も行っていた。落雷実験とは、「マルタ」にめがけて人工的な雷を当てその様子を観察するものだ。この実験では、観察どころではなく落雷を受けた「マルタ」の身体は一瞬にして黒焦げになった。
【熱湯実験】
熱湯実験とは、全裸にした「マルタ」に熱湯を変量しつつ掛け、火傷の部位・程度と火傷を被った場合の人体の生存条件が試された。
【凍傷実験】
凍傷実験とは、「マルタ」を極寒の外に放置し凍傷に掛かるまでの時間や時間経過によってどの程度進行していくのか観察する実験。時には「マルタ」に水をかけ、濡れているときの進行状況の観察も行ったという。

この他、ペスト菌・チフス菌感染実験・小銃弾による人体貫通実験・戦車に「マルタ」を閉じ込めての火焔放射実験などを行った。そして上記の様々な実験を行った「マルタ」最後にたどり着く場所は「毒ガス実験場」である。様々な実験により、手足が腐り落ちアザラシの様に胴体だけになった「マルタ」や、全身骨と皮だけになり肋骨が露出している「マルタ」が最後に毒ガス実験により絶命する。 たとえ文字で見たとしても耐え難い残忍な実験を行っていた。
こうして、絶命していった「マルタ」たちは敷地内に建てられた大きな焼却炉で雑に焼却された。また、中には実験に使えないなどの理由で生きたまま焼却炉に放り込まれた「マルタ」も多数居たという。
・唐突な終わり…
1945年8月。事態は一変する。戦況が悪化し、敗戦の色が濃くなり始め第七三一部隊は、この悪魔の実験の証拠隠滅に入る。証拠隠滅…ことは簡単。青酸ガスによる「マルタ」の大量虐殺である。「マルタ」が居る部屋全部に青酸ガスを撒き絶命した「マルタ」を焼却していく。ここで、証拠隠滅にあたった人物たちは実は七三一部隊の人間ではない。証拠隠滅にあたった人間は関東軍第五一六部隊。正式名称「関東軍科学部第五一六部隊」と言う毒ガス部隊の人間。七三一部隊とは兄弟部隊である。(※ここでは、七三一部隊と五一六部隊とのつながり付いては割愛したいと思う)最終的には、「マルタ」の処分と同時に七三一部隊施設の各所に重油が撒かれ火が放たれそこらじゅうで巨大な火柱が上がっていたという。そして、「マルタ」焼却も間に合わず巨大な穴に「マルタ」を放り込み重油を撒き火を放ったという。もちろん、この巨大な穴も「マルタ」に掘らせたものだ。そして、隊員達の手により「マルタ」の骨が収集され最終的には何十袋もの「マルタ」骨が回収された。そして、何千ものカラス瓶に入った人体標本と共にトラックに積み込まれ「川の中で四散するよう捨てるべし」と言う命令を受けた運輸班員らの手により松花江(スンガリー)に沈んだ。
・石井四郎部隊長の処遇
終戦を迎え、第七三一部隊の撤退後、この悪魔の所業の張本人の石井四郎部隊長の処遇だが。事実上、実験データの受け渡しと言うGHQとの取引により戦犯には問われず余生を過ごしている。実に腹立たしいし、犠牲になった捕虜たちの事を思うととてもやりきれない気持ちで押しつぶされそうな気持になる。
まとめ
今回「【日本の黒歴史】日本のナチス「731部隊」~残酷な人体実験の数々~」と題し、実際に起きた日本人が実際に起こした戦争犯罪を簡単にまとめてみました。今回、参考画像も集めましたが、あまりにもショッキングな画像が多く使える物があまりありませんでした。初めに書きましたが、これは決して忘れてはいけない・永遠に恥悔い改めなければならない・そして二度と起こしてはいけない日本の恥です。ここに綴ったことは本当にごくごく一部にすぎません。もっと詳しく知りたい方は、書籍やこの事実を題材にした映画などが出ておりますので一度ご覧になってください。きっと、考えさせられる事が多いと思います。
↑七三一部隊関連の書籍・DVD
今回の残忍な部隊となった「第七三一部隊施設」の跡地が現存しています。中国にあるため時間とお金に余裕がなければ行く事は出来ませんが、実際に現場をご覧になりたいという方は現地に訪れるのもいいかもしれません。きっと考えさせられる事が多いでしょう。

犠牲となった方々に最大級の追悼の意を表し、終わりにしたいと思います。






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